京遊膳花みやこ店主ヒストリー(江戸)柳橋いな垣 !
柳橋花柳界で最後まで一流を貫いた料亭「いな垣」は江戸の最高峰として政財界の人たちに愛された名料亭でした。
(世の中に上様の声や一見さんお断りの世界があると学ばせて頂いた)
こちらは赤坂の置屋女将に江戸で1番の料亭が有るけど二番手に推薦するけど働いてみるかい?と誘われ副料理長から入らせて頂いた経緯がございます。
京都の料亭は代々続く今で言うオーナーシェフが主流の一子相伝が殆どす。
江戸は料理人を紹介所(組合)などから雇い入れ経営者は別なのが主流で東西の価値観も違いました。
江戸時代から続く花街なかでも「花柳界」は別格で江戸文化も下町には多く残されておりました。
※花柳界について詳しい事が掛かれていたので東京花柳界情報舍様お借りしました。https://www.tokyo-geisha.com/html/maincontents/
その花柳界の最高峰と言われていたのが横綱審議会や政財界の重要な話し合いの場になった料亭いな垣です。
残念ながら1999年に柳橋の料亭いな垣は廃業し江戸時代から200年以上も続いた柳橋の灯りが消えました。
※古今東西舍様の浅草橋(料亭いな垣)様お借りしました。 https://kokontouzai.jp/archives/1346
この素晴らしい「いな垣」で最後の料理長になり歴史の最期を見届ける経験が出来た事は私にとって掛け替えのない大きな財産です。